STORY1 バッグ職人からブランドライターへ
もの作り一筋で生きてきた半生
アパレル業界で、衣料品やバッグの作り手として、技術やセンスを高めることに半生をかけてきました。
そんな私が、会社や個人をブランディングする仕事に携わるようになったのは、一つの切なる願いがあったからです。
私は13年間、「品質のナイガイ」と呼ばれていた大手アパレルメーカーでパタンナーとして働き、世界最高峰の下着ブランド「ラ・ペルラ」を日本で複製する、リプロダクションの仕事にも携わっていました。
「ラ・ペルラ」の非常に高い品質基準をクリアするのは、並大抵のことではありません。
この仕事で、私はブランド価値を作ることを学びました。
ですが、1990年以降、バブル崩壊やファストファッションの流行などにより、国内の繊維アパレル産業は大きく衰退。
日本で高品質なものを作っても売れない時代が到来し、品質を何よりの売りにしていた「ナイガイ」は買収され、私が所属していた部署はなくなり退職を余儀なくされました。
「使い捨てにされるものではなく、使う人のために愛情をこめて作る仕事が続けたい。」
その一心で退職後は独立し、オーダーメイドのドレスやバッグの制作をスタート。
その人らしさを表現した世界でたった一つのものを作り、お客様に喜んでもらえることは、私にとって何よりの幸せでした。
生産コストが高い日本でもの作りを続けることは、イバラの道を歩むようなものでしたが、よいものを届けようと頑張る素材メーカーや製造会社、デザイナーや職人の方たちとの出会いが励みになっていました。
中でも、お世話になっていたあるバック会社の社長さんは、私にとって大きな心の支えでした。
日本の職人を大切にし、国産を貫いていた彼女は、「日本でもまだ、もの作りを続けることができる」ということを証明してくれる、唯一の光のような存在だったのです。
どんなに素晴らしいものも、
価値を伝えられなければ存在しないのと同じ
ですがある日、信じがたいできごとが起こりました。
彼女の会社が、倒産してしまったのです。
「どんなに質のいいものを作っていても、それだけでは売れないんだ……。」
「素晴らしいものを作っても、それを世に伝えられなければ存在しないのと同じ。」
厳しい現実を思い知り、虚しさとやり場のない悔しさで、涙がこみ上げてきました。
ひたすらもの作りの腕やセンスを磨くことだけに賭けてきた人生が、間違っていたかのように思えたのです。
ものを作ることしかできない私は、暗闇の中で行き先を見失い、しばらくは途方にくれるしかありませんでした。
ですが、自分の過去や時代の移ろいを悲しんだところで何ひとつ変わりません。
「よいものを作って、何とかその価値をお客様に届けたい。でもどうすればいいんだろう……?」
その方法が知りたくて、私はビジネスを学び始めました。
そして、学びを深める中、探し求めていた答えをやっと見つけることができました。
それが、ブランドライティングだったのです。
本当に価値あるものが輝く世界を創りたい
世の中にはたくさんの素晴らしいビジネスがありますが、その裏側にあるこだわりや磨き抜かれた技術は、ごく一部のビジネスでしか語られていません。
ですが、商品もサービスも溢れている時代だからこそ、それらの表面的な良さだけではなく、背景の魅力までも、価値としてお客様に伝えていくことが大切だと気づいたのです。
ブランドライティングとの出会いにより、そのことが腑に落ちた私は、失っていた光を取り戻したような気がしました。
「商品やサービスの本当の価値をお客様に伝えきることができれば、きっと作り手と使い手の、もっと幸せな関係が生まれるのではないだろうか。」
「心から望んでいたことが、叶うかもしれない……。」
そう思った私は、夢中でブランドライティングを学び、実践に励みました。
「もの作りを極めることに賭けてきた今までの人生は、間違いだったのかもしれない」と苦しんだあのときの悔しさは、本当に価値あるものが輝く世界を創りたいという原動力に変わりました。
ブランド価値を「作る力」だけでなく、「世に伝える力」の両方を携え、私は今、本質的な魅力を世に届ける伝え手として、ブランディングの仕事をしています。